明智光秀が本能寺の変を起こした理由は?
2020年の大河ドラマ、明智光秀になりましたね!
この光秀といえば、「敵は本能寺にあり!」で有名な戦国武将です。
あの第六天の魔王と恐れられた信長を討った武将ですね。
主殺しとして有名すぎる武将で、子どものころはあまり好きではありませんでした。(;’∀’)
日頃から酷い扱いを受け、ついには謀反に及んだというイメージだったのですが、近年研究がすすみ明智像は変わりつつあります。
主なイメージと比較しながら明智光秀が本能寺の変を起こした理由をみていきます。
明智光秀が本能寺の変を起こした理由
一般的に語られる理由としては、光秀の怨恨説です。
日本の歴史という漫画やヒカルの碁(これは番外編のパロ)でも怨恨説がとられていました。
主君であった信長はとても苛烈な性格でした。
そのため、日ごろから過酷な仕打ちを受けていた光秀がついに謀反を起こすという説ですね。
どのくらい過酷だったかの例をあげてみますと……
- 下戸なのに大きな杯で強要され、飲めないと答えると刀で脅される(飲まなければ死!)
- 酒席で「キンカ頭(禿頭)」とののしられ頭をぶたれる
- 1580年、武田家を滅ぼした家康をねぎらう接待役に任命されたが、苦労した献立を「魚が腐っている」と因縁をつけられ解任される(解釈に諸説あり)
他にもたくさんありました。汗
そのくらい、恨みをかっていてもおかしくない扱いを信長にされているわけです。
一番有名な理由でした。
他の諸説はというと、
- 野望説
- 恐怖心説
- 理想相違説
- 室町幕府再興説
- 朝廷説
- 四国説
- イエズス会説
- 黒幕説
- 徳川家康共謀説
- 羽柴秀吉実行犯説
など、枚挙にいとまがありません!
そのくらい謎があって断定できないということでしょうか。
また、近年新しく発見された密書から「足利義昭推戴説」も出てきました。
密書からみる足利義昭推戴説
藤田達生氏が唱える推戴説をご紹介させていただきます。
ここでいう密書というのは「六月十二日付、土橋重治宛 光秀書状」の原本のことです。
写し自体は以前から知られていたみたいですね。
ちなみに、土橋重治は紀伊雑賀(和歌山市)の土豪です。
本能寺の変の背景をつづっている書状は、明智光秀自身が書いたものである可能性が高いとされています。
また、脇付けに御返報とあるため、土橋重治からの書状に対しての返書であります。
この書状では、重治に光秀が「貴人への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます」書いています。
この貴人の名前は記されていませんが、本能寺の変の後であるため、ある人物のことを指していることになります。
足利義昭。
光秀は貴人に対して、敬意を表した表現を使っています。
この時期の、信長が討たれた後で敬われるのは将軍足利義昭のほかに存在しません。
また、光秀は冒頭でこうも述べています。
「貴人のご入洛の件につきましては、すでにご承知しています」
光秀は義昭が入洛するさいに協力しようと約束していたということですね。
まとめ
日本史最大のミステリーと言われる明智光秀の謀反。
様々な諸説が出ており、未だはっきりとした理由は判明していません。
しかし、新たな史料が出ることでまた一歩理由が近づいてくるかもしれませんね。
それにしてもこんだけたくさんの諸説をみると、小学校のときに覚えた理由なんてたったひとつにすぎないのだな、と改めて歴史の奥深さに感心してしまいます。
大河ドラマではどの説をとるのか楽しみになりますね!